はじめに
私の住む茨城県北部は今回の大震災で
震度6強を記録しましたが幸いにも身内や知人に怪我人はでませんでした。
家も若干の被害はありますが被災地の方に比べれば無傷に近いでしょう。
先程やっと電気が復旧したので状況をお伝えしたいと思います。
3/11 PM2:46
(地震後に落下、停止したままの時計です)
夜勤明けでの眠りから覚めた後、ぼ~っとしていると地震がおきました。
始めはゆっくりと大きな横揺れ、その後今まで体験した事が無い激しい横揺れが始まりました。
家の中の物が次々と落下し、窓の外を見ると車が異常なほど揺れていました。
慌てて家の外に飛び出すも立っていられない程の揺れに何もできませんでした。
そして遠くに見える山から幻想的な白い煙のようなものが大量にあがっていました。
恐らく地震で大量の花粉が飛び散っていたのを見たのでしょう。
一体何が起きた!? 地震だよな!? !?!?!?!?
そう思いました。
嫁と息子は車ででかけていました。
その出来事から帰って来るまで恐らくは15分位だったと思いますが何時間にも感じました。
家族の無事を確認した後、2軒隣の実家にかけより両親の無事を確認。
実家は古い家屋なので瓦が少し落下し、外壁にヒビが入っていました。
直後に大きな余震が来て、実家が大きく横揺れしていたのが今も忘れられません。(でも家屋は一応無事です)
その後、甥っ子を学校へ迎えに行った帰り、河口から1.5km程上流の川付近を車で走っていました。
(この時には信号は停止していました)
先にある橋に消防隊がいて「津波がきているので通行禁止です!」と規制をはっていました。
思えばこの前後には色々な場所で津波がおきていたのでしょう。
一旦落ち着いてラジオを聞いてみると、どうやら東北沖で大きな地震が発生した。
地元では震度6強を記録したとの事。
震度6強!?今まで体験した事がないその数字に背筋が凍りついた事を覚えています。
この時点でもちろんライフラインは断たれたいました。
夕方、とりあえず会社に顔を出してみましたがとても中に入れる状態ではないので連絡あるまで待機してくれとの事。
怪我人がいなかったのが幸いでした。
その日の夜は実家の父・母を家に呼び灯油ストーブで暖をとりながら一晩を過ごしました。
しかし、携帯での地震速報の音が一晩で十数回は鳴り余震もあり、ほとんど寝る事ができませんでした。
うとうととしていると明け方(まだ真っ暗だったと思います)にヘリの音で目が覚めました。
おそらく防災ヘリと自衛隊のヘリでしょう。
家はわりと海に近いので海岸線の状況を確認しながら被災地方向へ幾機ものヘリが飛んで行くのが見えました。
日中、車で近くを見て廻ると瓦が落ちている家や多くの墓石が倒れている光景を目にしました。
信号機は全て停止、スーパーや商店には人が群がり商品もあまり置いていない状況でした。
ただ、皆比較的落ち着いて行動しているようで安心しました。
ガソリンも少なくなってしまうのであまり動く事もできず、家に帰るも携帯の充電は切れてしまい通信手段が無くなってしまいました。
これは結構困ってしまいました。
食料は実家が農家なのでコメに不自由はなく、隣の兄の家と3軒で食料を出し合い今日までは十分な量を確保していました。
飲み水は嫁のパート先で優先的に販売してもらった事。
また自分家は井戸水で、地元の先輩が2日目に自家発電の機械でポンプを動かし地下水を確保する事が出来たの困る事はありませんでした。とても感謝しています。
そんなこんなで先程PM7:00頃、電気が復旧。
家族は皆元気で今のところは生活も普通にもどった感じですが、明日から食料品や日用品が店舗で十分量販売されるかはわかりません。
ガソリンスタンドも長蛇の列で在庫無くなり次第終了。補給はいつになるか未定。
会社もいつから本格的に復旧するのか?
等々、心配な事も多く通常の生活に戻れるのはいつになるやら。
福島原発の件(家からはだいぶ距離があるので大丈夫でしょう)や計画停電の事不安はたくさんあります。
ただ、ひとつ言える事は
自分はまだ恵まれているという事。
電気が復旧したあと初めて被災地の映像をTVで見ました。
信じられないものでした。
あの場所に居た方達の苦しみや恐怖、そのご家族様の苦しみや悲しみ。
そして今こうしている間にも苦しみ、悲しんでいる方達に比べれば自分の抱えている心配など・・・
今回の震災でお亡くなりになった方へ、心からご冥福をお祈り申しあげます。
また被災された方、皆さまが無事で元気になられる事を祈っております。